沿革History

大学、研究機関と実業界をブリッジするデザイン&エンジニアリング企業として、
社会のあらゆる問題を解決したい。

創業時からの理念を大切にし、その時代のニーズに応えてきた構造計画研究所。

構造設計へのコンピュータの活用により、建築業界に留まらない多様な分野へと事業を展開してきた、
当社の60年間にわたる歴史をご紹介します。

19561960's

創業の時代。個人の構造設計事務所としてスタート。
業界に先駆けてデジタルコンピュータの導入を実現しました。

当時の事務所見取り図 イラスト:なかだえり

1956

服部正構造計画研究所 創立

はじまりは、東京工業大学建築学科 谷口忠教授の研究室で助手として構造設計の研究に携わっていた服部正が創設した、大学発のベンチャー企業でした。東京都品川区上大崎1丁目768番地の自宅応接室に製図板を持ち込み、服部正本人ともう1人、計2名でのスタート。その後、2年で10名ほどに増えると、自宅隣の住宅を借り上げ事務所を拡張しました。

現在KKE本所新館にある服部正所長メモリアルルーム

1959

(株)構造計画研究所 設立

大学の研究成果を社会に還元する橋渡しとしての役割を担いたい。そうした理念のもと、株式会社構造計画研究所を設立します。創業間もなく、米国で発表された学会誌の中にコンピュータによる構造計算の記事を読んだ服部正は、その大いなる可能性に気づきコンピュータへの夢を抱いて米国へ旅立つことになります。

1960年代

城郭天守閣復興ブーム

1950年代後半から1960年代前半にかけて、戦後復興のシンボルとして日本中で天守閣の再建ブームが沸き起こります。日本建築史の専門家、藤岡通夫教授の指導のもと、和歌山城を皮切りに熊本城や小田原城など数多くの構造設計を手掛け、全国の城郭復興に携わりました。
城郭復元は、石垣や堀など、慎重に保存しなければならない数々の文化財に囲まれた中で工事を行う必要があり、通常の構造設計とは異なり複雑かつ、特別な気配りや高い技術力が要求されるものでした。

当時のコンピュータルーム

1961

IBM1620導入

「構造設計業務の多忙さを解消し、より価値のある仕事に専念したい。」その夢と使命感のもと、服部正は1960年、単身でイリノイ大学 ニューマーク教授のもとへ渡米。帰国後すぐに、業界に先駆けて最新鋭のデジタルコンピュータIBM1620の導入を実現しました。レンタル代だけで月額60万円、初任給が1万2千円の時代でした。また高価なコンピュータを扱うには火災保険の加入が必須となっていたため、木造社屋から台東区鳥越の鉄筋コンクリートビルへと本社を移転しました。

FACOM230/60導入

1960年代後半

国産コンピュータの生産に寄与

日本IBM常務から富士通に移籍した安藤馨氏を支援し、国産コンピュータの先駆けである、富士通のFACOMシリーズの開発では、服部正の大学の先輩でもあった池田敏雄氏をサポートしてオペレーションシステム(OS)の開発にも協力するほか、エンジニアリング向けのソフトウェア開発ビジネスも開始。1969年には社内にFACOM230/60を導入し、国産コンピュータの発展にも寄与しました。

1964

本所(本店)を東京都中野区ホルスタイン会館に移転

IBM1620-Ⅱの導入に伴いコンピュータを設置する保全のよいスペースとして構造設計を担っていた「日本ホルスタイン会館」に移転。

1967

骨組構造解析ソフトウェア「STAN」開発

導入した大型コンピュータを用い、構造設計や解析コンサルティング実務に使用する三次元骨組構造解析ソフトウェア「STAN」を開発しました。時代に合わせてソフトウェアの改良・開発を続け、現在のパソコン向けソフトウェアパッケージの開発・販売にもつながっています。

1969

米国にILC設立

自社開発のソフトウェア「STAN」の米国における販売展開と最新情報収集のため、サンフランシスコのInternational Logic Cooperation「ILC」に資本参加。同時にソフトウェアの受託開発を始めました。当時の新聞には「頭脳を売る無形商品の輸出への道を開くものとして注目」との記載もあります。まだ日本でソフトウェア市場が成熟していない中、本場米国での挑戦となりました。

1970's

コンピュータの活用・ソフトウェア産業の育成に挑戦した70年代。
構造設計だけではない業務、業界にも徐々に事業の幅が広がっていきました。

毎日新聞社提供

1970

大阪万博パビリオン建設

1970年の大阪万博では多くの新進気鋭の建築家たちがパビリオンをデザインしました。その中で服部正は、スイス、フランス、香港、タンザニア館などに携わり海外建築家のコ・エンジニアを務めます。中でも3万個以上の電球を用いて制作したスイス館「光の木展示館」はひときわ目を惹くユニークなものでした。直径5メートルの幹から伸びる長さ23メートルの枝に相当する鉄骨を片側で支える特殊な構造で、その設計には高い技術力が要求されました。
(当社ロゴのストーリー:2021年6月期(第2四半期)株主通信 p.6)

1970年代

コンピュータで図面を表現

自社開発のソフトウェア「STAN」の登場以降、構造計算結果の自動作図に関する研究が始まります。当時、計算結果の出力装置としては、ドットプリンタによる文字印刷がそのほとんどでしたが、当社では最新鋭で高額のグラフィック・ディスプレイIBM2250とガーバ社の巨大なペンプロッター(X-Yプロッター)装置を導入します。IBM2250はブラウン管ディスプレイにタッチペンを備えたもので、線と文字を表示する機能を有していました。国内ではまだ数台しか利用されておらず、最先端の装置でした。

1971

電電公社 
DEMOSライブラリ開発

この当時、コンピュータは高額で大企業や研究機関など限られた人々しかコンピュータを利用できませんでしたが、中小の事業者でも電話回線を通じて国産高速コンピュータDIPS-1にアクセスできる画期的な科学技術計算サービスシステム、「DEMOS(Dendenkosha - Multi access Online System)」が登場します。DEMOSの中で建築構造設計のアプリケーションを当社が担当し、受託開発を行いました。受託開発業務の経験が乏しい中、試行錯誤を重ね完成にこぎつけた経験は、その後の住宅ハウスメーカー向けのシステム開発の礎となりました。

社内のDEMOSオペレーションルーム

1971

日本ミニ・コンピュータ(後の日本データゼネラル)設立

1970年代に入ると、ビルのフロアを占有するような大型のメインフレームコンピュータに代わり、研究室や中小企業でも扱える小型のミニコンピュータが登場しました。このコンピュータに可能性を感じた服部正は、当時通産省の情報処理振興課長だった平松守彦氏(のちの大分県知事)らとともに国策会社である、日本ミニ・コンピュータ株式会社を設立。当時の設立書には、その使命として「可能な限り自己の必要性を具現化させるComponentとしてのMini Computerを志を同じくする人々とともに共同で開発し、製作し、安んじてそれぞれの企業の本来の仕事に貢献できることこそ、新会社の使命であり、念願とする処なのである。」との記載があります。

1972

日本ソフトウェア産業の立ち上げ

日本におけるソフトウェア技術の確立を目指し、服部正は、日本ソフトウェア産業振興協会の会長として、ソフトウェア業の産業育成を主導しました。当時、ソフトウェアはコンピュータハードウェアと一体で販売され、ソフトウェアそのものに価値がつくことはほとんどありませんでした。業界の発展のためにはソフトとハードを分離し、ソフトウェアの技術的価値を認知してもらう必要があり、産業の立ち上げに尽力しました。

1974

構造設計以外の分野への挑戦
オペレーションズ・リサーチ分野

1974年、当社にOR(オペレーションズ・リサーチ)研究室が誕生しました。創業時は構造設計を生業にしていましたが、服部正の胸中には常に「社会のいかなる問題にも対処できるよう、総合的なバラエティに富んだ専門家を集めた工学を生業とした組織を作りたい」との強い思いがありました。1963年には、ノルウェーのオスロで開催された国際OR学会に、東京工業大学の松田武彦教授とともに日本の代表として出席。当時からコンピュータを活用し、構造設計以外の分野へ挑戦することを視野に入れていました。

1963年にノルウェーで開催された国際OR学会

1980's

熊本構造計画研究所が竣工された80年代。ソフトウェア工学技術の普及に挑戦しました。
現在でも熊本を重要な拠点と捉え、有効な活用方法を模索しています。

1980年代

設計支援用のCADをはじめとした
ソフトウェアパッケージ販売へ

当時世界最先端の汎用CADソフト「AutoCAD」を開発したAutodesk社と国内で最初となる代理店契約を締結しました。また、「AutoCAD」をプラットフォームとした建築設計者用の自社パッケージソフト「adpack(architectural drawing packaging with AutoCAD)」の開発・販売にも挑戦し、建築業界でのCAD利用の普及に貢献しました。

1986

熊本構造計画研究所 開設

当時の通産省が提唱した「テクノポリス」構想に賛同し、細川護熙熊本知事(当時)のご協力を受け、熊本県大津町にソフトウェア開発の拠点とすべく熊本構造計画研究所を設立しました。開設以来30年が過ぎた現在でも多くの所員が勤務しており、熊本出身の所員も多数活躍しています。

1980年代後半

製造業向けソリューションの展開

1980年代後半になると、建築業界だけでなく製造業に向けても、CADをはじめとしたソフトウェアパッケージの展開を開始しました。また、汎用システムシミュレーションツール「SLAM」を扱って以降、これらのソフトウェアが工場建設の際に利用されることが増え、対象業界の拡大につながっていくこととなります。

1987

意思決定分野参入

創業以来、構造物、自然現象などの解析・シミュレーションを手掛けてきましたが、それらの領域をさらに広げ、「人間の社会活動」にまで広げたのが1980年代後半に参入した「意思決定分野」です。
小売業のマーケテイングコンサルティングではいち早くコンピュータインタビューを導入し、様々な業界の様々な製品やサービスの調査に適用して経験を重ねました。

1989

「ソフトウェアパッケージショー」開催

設立30周年を記念して、新宿センチュリーハイアットホテルにて「ソフトウェアパッケージショー」を開催。その後は「KKE Vision」として、賢慮にみちた未来社会の構築を目指して、様々なステークホルダーの方々と双方向のコミュニケーションをとる大切な場として発展しました。

1990's

90年代からの携帯電話の普及に貢献した情報通信コンサルティング。
近年では新しいクラウドビジネスにも挑戦し、社会の様々な課題解決に幅広く取り組んでいます。

1990年代

住宅ビジネスへの挑戦

これまで培ってきた最先端のCAD関連システム構築技術を活かして、住宅メーカー向けのシステム開発に挑戦しました。構造計算とプログラミング開発、双方の高い技術力を活かしたシステム開発は高い信頼を得て多くのお客様に導入していただいており、現在も当社の大きな事業の柱となっています。

1990年代

品質へのこだわり

ソフトウェアの組織的開発を標準化する目的で、「グリーンブック」を策定し、品質保証の要としました。その後、2000年代には品質保証活動の司令塔として社内に「品質保証センター」を設置。徹底的な品質保証体制の構築に取り組んでいます。

1990年代後半

移動体通信ビジネスへの挑戦

80年代後半に携帯電話サービスが始まり、移動体通信の需要が増大。それと並行して、アナログ方式からデジタル方式への移行が開始され、情報通信の変革が行われました。当社は来るべき次世代通信に備え、デジタル化移行で重要なパラメータである遅延時間を計算できるレイトレース法に取り組み、第3世代携帯電話の使用形態の変化に対応した置局設計システムを手掛けエリア品質向上に貢献しました。また、手軽にメールやインターネットが楽しめる無線機内蔵のPDAの開発に携わるなど、情報化社会をリードするプロジェクトに携わりました。

1999

東京都中野区に本所新館完成

分散するオフィスに点在していたチームを集結させるため本所(ホルスタイン会館)近くに自社ビルを建設。

2000

株式公開

社団法人日本証券業協会に店頭登録銘柄として登録。

     

2000年代

六本木ヒルズ、
上海環球金融中心、竣工

創業時からの主要事業である構造設計では、高層建築や特殊な形状の建築を事業の主軸とし、耐震・免震構造を担当する独立の部門を設けました。2002年、大型プロジェクトの森ビル六本木ヒルズ計画に参画。2007年には上海に構造設計のための事務所を開設し、上海環球金融中心プロジェクトにも携わりました。このような超高層建築では、日常的に吹く強風と地震動までを考慮しての設計が必要となり、高い技術力が要求されるものでした。

2011

知粋館竣工
世界初3次元免震への取り組み
-日本建築学会賞受賞-

国土交通省の「超長期住宅先導的モデル事業」として採択された「阿佐ヶ谷プロジェクト」のもと、3次元免震装置の開発に着手し、5 年の開発・設計期間を経て、 2011 年に世界で初めて3次元免震を実用化した「知粋館」を竣工しました。その功績により、2012年度の日本建築学会賞および日本免震構造協会技術賞を受賞しました。

2013

クラウドビジネスへの参入

2013年、飛躍的な成長を遂げていた米国コロラド州に拠点を持つSendGrid社のクラウドベースメ―ル配信サービス「SendGrid」の提供を日本国内にて開始。2015年からは空間の3次元デジタル化を実現するプラットフォーム「NavVis」の提供を始めます。また、2017年からはWi-Fi型スマートロック「RemoteLOCK」の提供を開始するなど、既存ビジネスの発展だけでなく、新たな付加価値をもたらすべくクラウドビジネスに挑戦しています。

2019

指名委員会等設置会社へ移行

業務執行と監督機能の明確な分離による経営監督機能の強化、業務執行における権限・責任の明確化と経営の透明性・客観性の向上等を目的として、指名委員会等設置会社へ移行。

            

2024

持株会社化

社会の未知なる課題解決にチャレンジを続け、持続的に提供価値を拡大することを目的に、多様化した事業に即した新たな体制を構築すべく株式会社構造計画研究所ホールディングスを設立し持株会社制に移行。グループ各社のミッションを明確化し、連携することで社会への提供価値の更なる向上を目指す。

     

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